つくばマラソン2008
2008 / 11 / 29 ( Sat )










明日2008年11月30日(日)は、


“つくばマラソン“が開催されます。



僕は、このレースには出場しません。
参加される仲間やチームメイトを応援することが目的です。

会場がある“つくば大学”まで、水戸街道(松戸宿〜荒川沖宿)をベースに、走り旅を楽しもうと考えました。

松戸宿から荒川沖宿までの距離が、約50.1キロ。
荒川沖宿からつくば大学まで、約15キロとなり、走行距離にして“約65キロ”になります。


今年最大のレースと位置付けていた“スパルタスロン”を、Finisherとして想像出来ないほどの至福の時間を得ることができました。
この感動は例えようのないものです。


その後は、どんなレースでもあの感動を得ることは、しばらく得られることはないでしょうか?

よく言われるように、僕も燃え尽き症候群に落ちたようです。
走る気力や歓喜など言われる心を失って、まるでモノクロな世界に落ちた日々を過ごしているような気がしていた。
そして、僕は来年3月迄は全てのレースから一定の距離を置くことにした。
即ち、ただの傍観者となることを意味する。

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さくら道国際ネイチャーランに向けて!!
2008 / 11 / 25 ( Tue )
2009年の春・・・・

これまでとは違う桜に

出会います。




名古屋市の名古屋城をスタートし、金沢の兼六園までさくら道を、36時間以内で250kmを走破するレースである。

つまり、僕は“さくら道 国際ネイチャーラン”への参加が決定したのです!!


「太平洋と日本海を桜道でつなごう」という壮大な
夢を持った一人の男性がいた。

彼はその夢の実現にむけ、一人で私財をなげうって、2000本あまりの桜の木を植え続けました。

その男性の夢は、人生の半ば、病に倒れ途切れてしまったが、
しかし、その志は後世に受け継がれ、この大会になりました。



2008年9月下旬、僕はギリシャの地に降り立った。

アテネからスパルタまでの約250キロを36時間で走破しなければならない。

なぜか、さくら道ネイチャーランはスパルタスロンに似ているような気がしてならない。

スパルタスロン2008完走を達成したその虚脱感に落ちてしまい、新たな目標を模索していた自分がいた。

まずは、さくら道ネイチャーランに参加すべく厳しい選考をパスしたが、完走を目指すだけでなく自分に納得できる走りを期待したい!!
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旧中原街道マラニック(一日目)
2008 / 11 / 22 ( Sat )

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歴史街道マラニック

中原街道走り旅編

(2008年11月22日〜23日)



三連休を利用して、神奈川県下の旧街道をすべて走り旅する企画第一弾として“中原街道”が最初の一里塚になる。

これまで、JR青春切符やバスなどの格安交通手段で、五街道(東海道・中山道200日光街道:奥州街道・日光街道)を全て完踏している。

五街道とは、慶長9年(1604年)に日本橋が五街道の起点として定められ、重点的に整備されました。

特色として、一里(約4キロ)ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意しました。万治2年(1659年)以降は新たに設置された道中奉行の管轄に置かれ,五街道の正式名称が定められたのは、享保元年(1716年)です。



さて、次の目標は脇街道や往還に新たな目標としました。
脇往還(わきおうかん)とは、江戸時代の五街道以外の主要な街道をいいます。


「脇街道」や「脇道」とも呼ばれた。

脇往還もまた、五街道と同様に道中奉行が管理しており、宿駅・一里塚・並木などが整備されたところも多い。

主なものに水戸路、美濃路、伊勢路、日光例幣使街道、日光脇往還、日光東往還、山陽道、善光寺道(北国西街道)、矢倉沢往還などがある。

五街道ほど関所の取締りが厳しくなかったらしが、関所がなかったわけではないらしいです。





まず手始めに、2008年に“矢倉沢往還”を完踏します。

今回は“中原街道”に挑戦します。

それも神奈川県内に限定して、多摩川に架かる丸子橋そばにある“丸子の渡し跡”より出旅としました。

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新聞一面に、チームが紹介されました!!
2008 / 11 / 21 ( Fri )




茨城県地域情報紙

「常陽リビング」新聞一面に、

チームが紹介されました!!



米国在住のエンターメント豊かなコスメル前村さん

が、デトロイトマラソンにおいて見事DETORITO FREE PRESS紙一面を飾ったことは記憶に新しい。

ここで朗報有り!!

コスメル前村氏に続いて、ZEPHIYAMAさんが堂々と地元新聞に掲載されました。

見事今年スパルタスロン(アテネ〜スパルタ246キロ)を完走した偉業に言及した記事である。

さらに、走ることに生きがいを発見するまでの彼の人生にも触れている。
僕にとっても、彼自身を知ることも多くて感慨深い。








限界に挑戦して見えた自分


ギリシャで開催された


ウルトラマラソン・スパルタスロン

を完走した桧山和成さん



つくば市の桧山和成さん(54)は、50歳を機に盲人マラソンの伴走に挑戦し、フルマラソン(42・195キロ)で3時間を切った。

それまでのハードロック一筋の生活は少しずつマラソンに傾き始め、今では家族や仲間の支えが何物にも変えがたいと実感する。

その声援をバネに9月27日にはギリシャのアテネ―スパルタ間246キロマラソンにも挑戦し、世界一過酷といわれるウルトラマラソン・スパルタスロンを走破した。


大会に向けてランニング練習をする桧山さん

高校時代にロックに目覚め、法政大学入学後は本格的にバンド活動をスタート。

音楽で生計を立てたいと海外まで足を運び、ライブを見ては感性を磨いた。

卒業後は筑西市で両親が営むホテル業を手伝いながらその夢を温め、27歳で念願のハードロックの店をオープン。

「音楽活動をしている学生たちに場所を提供し、音楽の道に進む基盤をつくりたい」と考えていた。


毎日の酒と夜中までの営業、そしてロック関係のビデオやレーザーディスク購入に収入のすべてを費やしていたが、40歳になって間もなく「そろそろ自分の体に投資したら」と友人に言われた一言でマラソンを意識し始めた。

翌日から毎日1時間スポーツジムで汗を流し、ジョギングも始めた。しかし3キロも走るとひざが痛みだし、自分の体力の衰えと日ごろの不摂生を痛感。

そのためなるべく8時間の睡眠を心掛けるなど生活習慣を一から見直し、3年後の1998年4月、かすみがうらマラソン大会に初参加。

自信はあったが結果は惨敗。


悔しさからもう一度だけチャレンジしようと半年後、つくばマラソンにエントリー。

しかし、それも予想外の遅いタイムに終わりがく然とした。


「それならば―」と毎日の練習に加え、晴れの日を選んでは筑波山まで走るなど自分を追い込んでいくと、体の限界や求めているものが何となく分かってきた。


マラソンに関する知識を本やホームページから習得し、地元のマラソンチームを通して全国に仲間も増えた。

やがて100キロマラソンへのチャレンジ心がむくむくとわき、家族も協力。「車で行って車中で寝泊りし、父親を見て子どもたちも走ることに興味を持ち一緒に走りました。


私は自転車に乗って伴走しただけですが」と妻の幸子さん(53)。

スパルタスロン完走を祝して関係者から渡された完走証と月桂樹(順位71位)
その経験が功を奏し、その後のフルマラソンでついに3時間の壁を破った。

練習も強化し、1キロを全力で走るインターバル走や一番きついペースで10〜20キロを連続して走る練習も積み、今年5月には、山口県で開かれた250キロマラソン萩往還にエントリーした。


初めての長距離―。振り返れば、12年間で200以上の大会で完走したものの納得のいく結果は出せていなかった。

年齢はすでに50代。体力にも限界を感じ始めていたが、あえて250キロに挑戦。

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Trans Europe-Foot Race 2009
2008 / 11 / 18 ( Tue )




TransEurope-FootRace 2009



From Bari to the North Cape

19th April to 21st June, 2009


http://www.transeurope-footrace.org/tefr09/index.php?&L=1


自分の両足だけを信じて、Bari(Italy)からthe North Cape (Norway)までの4500キロを63日間かけて走破するレースに挑戦する人々が存在する。

そのレースとは、TransEurope-FootRace 2009(トランス・ヨーロッパ・フットレース2009)である。

世界11カから挑戦する選手63名(Men: 54名 Women: 9名)のRunnerが、4月19日にスタート!!

Italy 〜Austria〜Germany〜Sweden〜Finland〜Norwayまでの6ヶ国を縦断して、
6月21日にthe North Cape (Norway)で Finish。







参加選手の年齢に関しては、

男子では最年長選手は70歳、最年少選手は29歳。

女子は、最年長選手は56歳、最年少選手は42歳。


ちなみに、FootRaceとはstage-Rceです。

TransEurope-FootRace 2009では、64 stagesが設定されていて、

Longest stage: で94,2 km 、Shortest stage:は 44 kmになる。


昼はRunning、夜はsleeping…この繰返しを毎日続けながら、Finishを目指す競技である.

休養日は存在しない。

毎日毎日走り続ける。

もちろん、各stageには制限時間があり、全く気を抜くことを許されない。


単純に計算すると、一日の平均走行距離は約69.7キロを、63日間を毎日走ることになる。


このレースにエントリーするには、過去の実績を基に厳選な選考にパスしたランナーのみが許可された冒険者達なのだ。

僕が憧れ続けている大陸横断レースのひとつ…TransEurope-FootRace 2009。
このレースに参加する選手ひとりひとりには強い夢を抱いている。

そして、強い夢は必ず実現するということもお伝えしておきたいです。

4500キロを走破する選手にとって、もう頑張るという感覚ではなくなる。


その後は、すべて感謝。

砂利道でも、この道をつくってくれた人に感謝。

雨が降っても、暑い日でも、自分が走らせてもらうことに感謝。

感謝の気持ちだけが、自分を前に進めてくれる。

仕事も全く同じこと。

周囲への感謝の念なくしては、続けられるわけがありません。

そして、命を賭けて成し遂げるという思い。

火傷するくらいなら止めておこうなんて考えでは、何事もうまくいかないのです。
もうひとつは強いイメージ。

ゴールするthe North Cape (Norway)の日没を眺めながら、冷えたワインで祝杯をあげてはどうだろうか?

繰り返しになるが、

強い夢を持って、命がけでその夢を育てること。

そして日々、感謝の念を忘れなければ、夢は必ず叶います。

応援者が必ず現れます。
応援者のひとりが、僕で有りたい。




フル42.195キロで終わってしまっていいのか?

道はさらいあるのに・・・・あの地平線を越えても道はある。


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旧街道歴史走り旅/旧中原街道
2008 / 11 / 14 ( Fri )


歴史街道マラニック




今週15日(土)も、旧街道歴史走り旅に出立です。


その旧道とは、“旧中原街道”です。

中原街道(中原道)は、江戸城の虎ノ門から相模国(今の神奈川県)平塚郊外の中原に通じる街道で、江戸時代には相州街道、または小杉道とも呼ばれ、東海道が整備されるまでは幹線道路として利用されていました。


慶長元年から13年頃(1596〜1608)には小杉(川崎市)と中原(平塚市)に御殿が設けられ、将軍の巡遊や鷹狩りの休息や宿泊にも使われていました。

ところが東海道が幹線として整備されていくと、急ぎの旅や、東海道の混雑を避ける旅人に利用されるなど脇街道としての利用に変わっていきました。

一方、江戸の発展にともなって沿道の村々の産物を江戸に送るという輸送路としての役割が大きくなっていきます。

なかでも中原で醸造された「お酢」を江戸へ運ぶ輸送路になっていたため「御酢街道」とも呼ばれていました。

旧中原街道は、東京(江戸城)と平塚市中原とを結ぶほぼ直線の街道で、古代から中世にかけての古道です。
また、戦国時代から江戸時代にかけて、後北条氏の時代は
関東でも重要な軍用道として使用され、“相州道“とも呼ばれていた。

天正18年(1590)徳川家康が関東移封で江戸城へ入城する際に
も、この街道を利用された。
当初の起点は江戸城桜田門でしたが、江戸城の拡張に伴い虎ノ門が起点として変更された。


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2008忘年会のお知らせ
2008 / 11 / 12 ( Wed )
2008忘年会のお知らせ


2008年は、スパルタスロンで始まりスパルタスロンで終わったyearとなりました。

完走でいきた者、完走できなかった者。

来年こそ、メンバーの皆さんの夢を実現されることを念願して止みません。

それから、時間が過ぎてしまい・・・気がつけば、本年も残り少なくなってきました。



チームメンバーだけでなく、

jognoteやmixiでお会いした皆さん!!



ぜひこの忘年会にて親睦をはかるとともに、この一年の反省と来年への飛躍の糧としていただくため、恒例の忘年会を下記のとおり企画しております。

忘年会は、今年を締めくくる大事な宴会。
みんなで気分よく盛り上がれば、「あ〜、今年もいい一年だった」と思えてくるはず
年末をひかえご多忙中とは存じますが、是非ご出席ください。

なお、恒例により代々木ランニングクラブと合同開催となります。

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スパルタスロン2008/夢と現実の狭間で・・・ フィナーレ
2008 / 11 / 09 ( Sun )







最後の峠に佇み、昨年の

リタイアの悔しさからようやく開放されたように
感じていた。


間もなく終わってしまう一抹の寂しさが、なぜか僕の頭を占めていた。

早くこのレースを終わらせたと強く念じていたことが、心から恥ずかしい。

とても長い下り坂を抜ければ、そこはスパルタである。
丘の上に佇む石造りの教会の鐘が鳴り響き、まるでランナーを迎える歓喜の調べの如く耳に心地よい。

スパルタは、ギリシャ独特の乾燥した石灰質の山々に囲まれ、山底に落ちたような街である。
それはまるで大きな壺である。すべてのランナーの歓喜と汗を詰める壺である。

そして今尚、この壺の受口にランナーが次々と注がれている。

レオニダス像も近くなる。
スパルタ市街の中心を抜けると、交通量も増えてくる。
道路脇に駐車された車列を、縫うように走る。
“ブラボー!”“ブラーボ!”とエールを送るスパルタの人達に、丁寧に帽子を脱いでお辞儀をする。

僕は、心から感謝を込めボデイアクッションで応える。







建物上層階にあるテラスに佇む若い娘が眺められる。
カフェの窓越しから、椅子に座る初老のふたりが手を振っている。
瞳を輝かせた子供達の笑顔が街中に満ちている。

そして、その言葉はひとつだけ…“ブラボー!”


往来する車からもクラクションが鳴らされる。この言葉もひとつだろう…“ブラボー”

それは恰も協奏曲となり、スパルタ市街の隅々まで埋め尽す。
疲れているが、心は軽い。

街角を右折すると、見覚えの通りに出る。

遠方には、小さくレオニダス像が見える。

僕は程なく、Finishを迎えようとしている。そして、僕はこの瞬間に

昨年の置き忘れた物達を思い出していた。




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米国一流新聞に、何と我がチームが紹介されました!!
2008 / 11 / 07 ( Fri )


話題騒然!!

スパルタスロン2008で、サポート隊長を務めて戴いた“コスメル前村さん”の近況報告です!!

ご存知の通り、アテネからスパルタまでの36時間を徹夜でお世話戴きました。




“コスメル前村さん”は、米国デトロイトにてご家族と共に駐在されています。

2008年10月19日に開催されたDetorit Marathonで、何と!…DETORITO FREE PRESS紙一面に掲載されました!

この新聞ですが、米国でも歴史的に古く、いわゆる一流新聞の分類に入ります。

僕もそうですが、一度は新聞・・・特に一面に写真付で掲載されることは大きな夢です。

しかし、これがなかなか大変なことは、皆さんもご存知のはずです。

ところが、チームの中で一番にエンターメント性にい富む前村氏が、

ついにやりました!!

それも、何と素晴らしいFINISH TIMEらしいのです!?

前週10月12日開催されたCHICAGO MARATHON でも見事にFINISHER の栄光をゲットして、次ぎの週末はDetorit Marathonにもエントリーとは…。

2週連続のフルに挑戦したのです。

今年のCHICAGO MARATHONは、昨年同様に頭から水をかけながら走らなければならない程の暑さらしい。
12マイルポイントで右膝ちょうけい靭帯あたりが痛くなり、初めての2週連続フルだったのでかなり不安だったらしい。

Detorit Marathonは、絶好のマラソン日和でした。
ゆっくり走った割には心拍数が高かったので走力が落ちているのも実感出来き苦手なペース走やスピード練習も取り入れて「気合入れてかないとあかんなあ」と本人の弁。

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スパルタスロン2008/夢と現実の狭間で・・・峠を越えればスパルタに
2008 / 11 / 03 ( Mon )



TEGEA(CP60:195キロ)

10時28分に出発する。


次ぎのcentral stationはMNHMEIO (CP68:222.5キロ)である。

区間距離は、約27.5キロ。ここを15時11分で通過する。
ここまで、何と…4時時間40分程の時間を要したことになる。

制限時間が15時30分。

関門通過に残された時間は、約19分程度。これは、余りにも危険だ!!

僕は、いわゆる“ガス欠状態”に落ちている。

各エイドに置かれたFOOD&DRINKが、どうしても口に合わない。
カロリーの少ない果物やヨーグルトなどに、積極的に手を出すが焼け石に水。

固いパンや御粥など無理に口にするが、期待されるエネルギーが摂取できない。

これには理由がる…Sangas Mountain手前で起きたコースアウトからの生還を果たすべく、ANCIENT NEMEAを少し過ぎたCP37からCP43:RYRKIAまでの約40キロをペースを無視したRUNに原因が求められる。

日中の強い陽射しが触媒作用のように、身体の中で疲労物質を活性化させる。
内臓も筋肉も疲労物質である乳酸が、トロトロと音をたてて溢れているうに纏わりつく。

このステージが、一番辛い…それが正直な気持ち。

天空まで登り詰めるような激坂ではないが、辿り着けない峠が現われない。
ようやく、峠に達すれば一瞬の歓喜に満たされた瞬間に、延々と坂が続く。
僕は、作戦通にUphillはWalk(徒歩)に徹底する。

油汗は気になるが、すでにメンタル的に境地に追いこまれる。

それもジワジワとした切迫感がバクテリアのように、汗線などのHole(穴)から侵入して
あらゆる臓器の働きを未秩序と制御不能にと嵌めこまれる。

そして、僕の頭…つまり、
僕の脳はこの微細な生き物の暴弱無人な活動に混乱させる。

上から下まで全身に網羅された末梢神経群が、信号を運ぶ搬送物質が
容赦無く渋滞を余儀なくされる。
酸欠状態に落ちた精神系は、酸素を求めてもがき苦しむ。


道路脇に散在するゴミの山。
雑誌や袋、食べ残しのパスタ、ビール缶など容赦無く捨てられている。

僕は、ますます気が滅入いる。
そして疲れさせる。見たくない嫌な情景が続く。
そして、車に引かれた動物達の死骸が、無造作に転がっている。
僕の内も外も、癒されることはない。


Up&Down Hillが執拗に繰返し、僕に攻め押寄せる。
それは、肉体的強さ(human stamina)
だけでなく、辛抱と我慢と云った“精神的強さ
(mental strength)が問われる瞬間である。

コース上の難関と言われるサンガス山越え…正直に言えばとても簡単である。

噂ほどの山ではない。
苦行を期待していた僕には、あまりにも拍子抜け。

しかし、予期していないこのステージは難関。

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