WS100への道/第一章
2010 / 07 / 03 ( Sat )


出発

6月23日午後2時過ぎに成田国際空港に第一ターミナール出発ロビーに立っていた。
往来の激しいロビーにある椅子に座り、三々五々時間を過ごしていた。
突然に、携帯電話にベルが鳴った。嫌な予感に心が残る。

それは長い時間過ごした闘病中の母の容態が安定しない日々が続いていたからだ。
すでに年齢も80歳に迫り、肉体もまた精神も老化現象に顕著になり日々は介護の闘いである。
幸いにも実姉を始めとすり6人兄弟姉妹が、実母の具合を気にしており手助けを献身的に行っている。
若いころ実父と別れからは苦労を重ねた人です。
そんな実母のことを想う子供達にっとは、面倒を見るのは当然なのです。

恐る恐る携帯電話を耳にあてると、実姉の声だった。その声は震えいるように僕には聞こえた。
話を聞けば、実母の危篤を知らせるものであった。

僕は、覚悟を決めて再び自宅に戻らなくなってしまった。
今年のWS100は、儚い夢となるのだろうと確信した。

入院先の病院に駆けつけた。荒い息を殺すように必死に、実母に言葉をかける。
周りには、急な知らせを知った兄弟姉妹が全員集合していた。

それぞれの深い想い思い出すかのように、心では泣いていた。

それから病院で夜を迎えることになった僕は、固いベッドの上で、窓から眺めた満月の明かりに物思いに耽っていた。
いろいろな苦しいことも辛いことも、今は楽しい事しか思い出せない。

母の寝息を気にしながら、浅い眠りに落ちていく。

翌朝強い日差しを浴びた顔に、遮るように手を目に覆うように気づきながら目が覚めた。そこには、担当医師が椅子に腰掛けていた。
お話の中心は実母の容態のことに集中をざれるを得ない。
どんな会話を交わしたか、今では記憶が定かでない。僕は無機質な言葉に関心がなかったからだ。

医師よれば、どうやら実母の危篤状態も峠を過ぎたようで経過観察に移行するとのこと。
闘病生活は、これからもまだまだ続くことを理解した。そして、また再び同じような事象を覚悟しなければならない運命にあることを知った。


そんな状況では、WS100どころではないかもしれない。
ひとり身勝手な行動をとれば、“人”としての道を外れるような気がしてならないからのだ。

兄弟姉妹たちは、僕がWS100にエントリーしていること知っている。
そして、実母も知っていた。

意識の無い実母を見ながら、僕はひとりひとりに身勝手な行動にどうおもうか話をすることにした。

母はいつも言っていた“人生は一度だから、あなたの人生を楽しみなさい!
自分が決めたことをまっとうしなさい!“と。

そんな言葉が、会話の中に生まれてそして理解を得られたような気がした。

そして僕はその夢を叶う為に、行動することにした。

航空券


再び航空券を手配しなければならない。
いま手元にある航空券は昨日出発のもの・・・・すでに無効となっていた。

前日出発可能な旅行代理店に電話を急いだ。
そして、そのチケットは少し割高だったが、即代金を入金することにした。航空会社は、デルタ航空であった。

捨てたお金は無駄にはしない!!・・と、自分を納得させるしかなかった。
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