中仙道2007走り旅/倉賀野宿から岩村田宿64.4キロ
2007 / 08 / 28 ( Tue )
昔の軽井沢宿


8月26日(日)早朝。
武蔵の国(埼玉県)に入る。

それは、中山道が消滅したことを歴然と意味する。

炎天下の国道を走れば、車の排気ガスと蒸し暑さに閉口してしまう。
現代の旧中山道は、車道拡張工事や区画整理などにより、全てが車中心の車路となっている。

何度も云うが、“道路”ではなくて“車路”である。

杉並木などの樹木や道祖神・馬頭観音を初めとする石碑は、あたかも産業廃棄物の如きに処分され、抹殺されている。

綺麗に整地された旧街道は、古の旅人が闊歩した面影さえ留めることもない。
中山道は五街道のひとつ。日本の歴史である中山道を無惨に破壊したのは、人間を軽視した交通政策と車中心社会の町づくりにあるようだ。

無機質なコンクリートで舗装された歩道は、車両の出入りのためか…傾斜や凸凹だらけで走ることに苦労してしまう。
もちろん、歩くにも違和感を持つ。

幸いにも健康に恵まれた僕でさえ、苦痛を感じる。

身体にハンデーを持つ障害者にとって、これは想像を絶する悪路としか言いようがない。

車を対象としているので、大型駐車場が必要である。そんな商売が、沿道に無秩序に立雑している。

これは、旧中山道などを含む街道の歴史的遺産を軽視した時代の産物なのかもしれない。

埼玉新都心エリアを見上げると、天空にそびえるビル群がなぜか鬱陶しく感じるのは僕だけだろうか?

さて、気分を変えて本題に…!!

中山道走り旅2007の旅程を、多少変更することにします。

蒸し暑い空の下にある市街地を避けることにします。どうしても、我慢できない。

やはり、真夏は森の中を駆け抜けたり、足腰に優しい土の上を走るのがベストチョイス!!

中山道の面影が残る宿場から再出立することにしましょう!!
その宿場とは…倉賀野宿です。

倉賀野宿は、河岸を合わせた宿場でもあり、さらに日光例幣使街道の分岐点として交通上の重要な要地でした。

大名や上級武士の宿泊が重なった時に使用された2軒の脇本陣跡が残っていて、その一軒である須賀家の屋敷の一画には高札場が復元されている。
さて、一番楽しみとしては、森の中深くある碓氷峠にある。








碓氷坂の「うすい」は、「宇須比」「臼井」「碓日」「臼居」とも記された。万葉集では、「宇須比坂」「碓日坂」と書かれ、標高1180mの峠である。昔の旅人にとって、つづら曲がりの蛇行の多い難所である。

 軽井沢の語源は、浅間山の噴火して出来た「涸沢(からさわ)」とか、噴火石が飛んできて出来た「軽石沢」からきていると言う説もあるが、柳田國男説の『峠の麓に見受けられる地名で、荷を負う意味の昔の俗語「かるう」からきている』という説を支持したい。

碓氷峠の麓の町の歴史的風情の伝わる由来である。


森林に抜ける風は、市街地吹くそれとは違って、涼しい風が吹いている。
この日のFinishは、岩村田宿になります。(距離は64.4キロ。)


この宿場を選んだ理由は簡単で、JR小海線岩村田駅に近いからです。

なお、9月2日(日)は、完全休脚の日。

7月から8月は、少しスパルタスロンに向けて頑張り過ぎた疲労の蓄積を感じているからです。(泣)

9月1日(土)

倉賀野宿より岩村田宿まで

64.4キロなり。



倉賀野宿→高崎宿→板鼻宿→安中宿→

松井田宿→坂本宿→軽井沢宿→沓掛宿→追分宿

→小田井宿→岩村田宿(64.4キロ)


倉賀野宿:「河川運送の要所として栄える。」
群馬県高崎市
JR高崎線「倉賀野」

利根川の水運の終点にも当たることから、信州、越後の米は碓氷峠を牛馬で越え、ここから烏川を船で下り、利根川を経て江戸へ運ばれた。
高崎宿:「城下町として栄え、江戸から四日目の宿泊地」

群馬県高崎市
JR高崎線、上越新幹線「高崎駅」

1598年、井伊直政が築城し高崎と改める。直政は築城にあたり鷹を飛ばして城地を定めたことが地名の由来。また佐渡から江戸へ、越後、長岡を経て金を運ぶ「前橋道」との合流点でもあり宿場は盛況をきわめた。
板鼻宿:「碓氷川沿いに発達した交通の要衝の地」
中世には碓氷川、九十九川、秋間川の合流地点で筏交通の集散地であった。
戦国時代には入ると伝馬役を負担する伝馬宿となり、幕末には天領として幕府直轄地となる。

群馬県安中市
JR信越本線「群馬八幡駅」
安中宿:「中世からの歴史を感じる城下町」

1559年この地に城を構えた安中越前守忠政が野尻を改め安中とした。
その後、武田信玄により落城させられ城は荒廃する。
1615年井伊直政の子直勝が宿を整備し、安中の城下町として栄えた。
群馬県安中市
JR信越本線「安中駅」

松井田宿:「別名“米宿”と呼ばれ江戸廻米の中継地点」

次の宿、坂本宿へ向かうと人気駅弁“峠の釜めし”で有名な横川に碓氷の関所があったため、陽の当たるうちに面倒な関所を越えておきたい旅人は当宿を通過してしまうことが多かった。
群馬県碓氷郡松井田町
JR信越本線「松井田駅」

坂本宿:「難所、碓氷峠越えの拠点」

江戸時代には、東海道の箱根の関所と同規模の関所が松井田―坂本間の碓氷に置かれた。碓氷峠に「関」が置かれたのは889年にまで遡り古い歴史をもっている

群馬県碓氷郡松井田町
JR信越本線「横川駅」

軽井沢宿:「宿場から日本一の別荘地へ」
江戸時代に碓氷峠は噴煙たなびく浅間山を一望できる景観の良い峠であった。峠を越え信濃入りする最初の宿場。明治時代イギリス人宣教師ショー氏の訪問以後、現在まで高原リゾート地として内外に知られるようになる。
長野県北佐久郡軽井沢町
JR長野新幹線「軽井沢駅」

沓掛宿:「皇女和宮も宿泊した町」
浅間山麓一帯を原産地とする「信州そば」で名を広めた。また草津道の入口にあたり、草津温泉往来の旅人で賑わった。現在は改称して中軽井沢となる。
長野県北佐久郡軽井沢町
しなの鉄道「中軽井沢駅」


追分宿:「北国街道と中山道との分岐点」
「追分」とは牛馬を左右に追い分ける意味で、この地以外にも多くのこる。
北国街道(善光寺から越後路へ)との分岐点であり、中山道の宿場中最も高地にある。
長野県北佐久郡軽井沢町
しなの鉄道「信濃追分駅」


小田井宿:姫君に愛された静かな宿場」
追分宿が一種歓楽街的な宿場であったのに比べ、旅籠5軒の静かな宿であったので、公家の姫君が好んだことから「姫の宿」と呼ばれた。
長野県北佐久郡御代田町
しなの鉄道「御代田駅」
岩村田宿:千曲川を望む武田信玄ゆかりの地」
戦国時代の武将、武田信玄の軍用路であった佐久甲州街道と合流する地である。旧道沿いの龍雲寺は、信玄の遺骨がひそかに葬られていたという古刹である。
長野県佐久市
JR小海線「岩村田駅」

以上
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コメント
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>旅がらすさん

もちろんOKです。

ぜひご一緒しましょう!!

もしお見かけしましたら、声をかけてください!!
by: aloha!moana * 2007/08/30 19:37 * URL [ 編集] | page top↑
--9月1日の中山道--

熊谷は日本一暑いので、夏に走るのは快適ではないですね。1日のコース、地元なのでどこかでご一緒したいです。私は超遅いのでペースが問題ですが。
by: 旅がらす * 2007/08/30 00:05 * URL [ 編集] | page top↑
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